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難波宮(なにわのみや)で初めて「日本」という国号が使用された。大阪から「日本」が始まった。645年難波宮(前期)

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大阪歴史博物館の展示パネル

2025年3月(筆者撮影)

大阪の難波宮(なにわのみや)で初めて「日本」という国号が使用されたとされる。

難波宮は、大化の改新(645年)の後、孝徳天皇は改新の詔を発しその第2条で難波宮を日本初の首都とした。

「日本書紀」(養老4年(720年)完成)では大化元年7月(645年8月)の条に、高句麗や百済の使者に示した詔に「明神御宇日本天皇」の文言が出ている。

引用 Wiki Wiki

大阪から「日本」という国が始まったと言える。

天皇の住居(内裏)、儀式の場(大極殿)、政治の場(朝堂院)をはっきりした構造は難波宮が最初であり、その後の宮にも引き継がれた。

しかし、政治的には混乱期で孝徳天皇の死後、655年に中大兄皇子の母である斉明天皇が即位し、都は飛鳥板蓋宮(あすかいたぶきのみや)に遷都された。

その後、聖武天皇により726年から前期難波宮と同じ場所に後期難波宮が建設され、744年に一時的に正式な都となったが、745年には紫香楽宮へ遷都が正式に発表された。

白村江の戦い(663年)などがあり、大陸との関係から日本という国家を意識せざるを得ない時代だったと思う。

大陸や日本各地と海路で通じている「難波宮」を政治の中心にする意図があったと思われる。

762年、難波宮へ回航されてきた遣唐使船が浅瀬に座礁する。河川からの土砂堆積が、港湾としての機能を失わせた。

その後、794年、桓武天皇による平安京遷都によって、難波宮は事実上廃止された。

引用 季刊大林

2050年は、難波宮跡遷都1400年とされるので、逆算すると難波宮遷都は650年頃になる。

 

大宝律令(701年)説

701年の大宝律令(藤原京・奈良県橿原市)から「日本」という国号が正式に使用されたという説もある。

法律で「国号の日本」が制定されたのは、701年の大宝律令(藤原京・奈良県橿原市)と思われる。

しかし、天皇が対外的に「国号の日本」を使用したのは、645年の難波宮(前期)と思われる。

 

難波宮跡公園
施設名 難波宮跡公園
所在地 大阪市中央区法円坂1
面積 11.2ha
公園種別 歴史公園
開園年月日 2001(平成 13)年 11 月 1 日
アクセス Osaka Metro谷町線「谷町四丁目」駅すぐ

JR大阪環状線「森ノ宮」駅より徒歩5分

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