JR名古屋駅「太閤通口」は、1988年12月21日にJR名古屋駅「西口」から「太閤通口」に名称変更された。
JR名古屋駅の西側に豊臣秀吉の生家があったとされ、1932年3月1日に、名古屋市中村区(当時は西区)の一部に「太閤通」という地名が命名された。
ちなみに、豊臣秀吉の幼名は「日吉丸」で、尾張中村(現在の名古屋市中村区)に居住していた時は「木下藤吉郎」と称した。
太閤とは、関白を辞した後の尊称で、秀吉は関白を辞した1591年以降の大阪時代に「太閤」と呼ばれるようになった。
昔は「官位」で名前を呼んだ
戦国武将石田三成は「治部少輔(じぶのしょう)」と呼ばれ、水戸光圀も「黄門様」と呼ばれた。
江戸時代までは、地位の高い人を本名で呼ばすに「官位」で呼んでいた。
当時の庶民が、秀吉、信長、家康など本名で呼ぶことはなかった。
今でも太閤=秀吉が日本中で常識になっているのは、400年間に渡り大阪の人々が「太閤」という呼び名を受け継いできたからだと思う。
ちなみに、本名を呼ばない理由は、言霊信仰では名前を呼ぶとその人を支配できるとされているからとの説もある。
まとめ
歴史的な観点から、JR名古屋駅の「太閤通口」に違和感を感じる。
秀吉の尾張中村時代の幼名から「日吉丸口」、または「藤吉郎口」の方が「豊臣秀吉の生家」をイメージできるのではないだろうか?