京都人の常識
1,200年の歴史を持つ世界的な観光都市「京都」、京都人は他府県民とは違う独特の常識、習慣を持っている。
京都旅行に行く際、覚えていて損はない「京都人の常識あるある」を紹介します。
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老舗と言えるのは400年から
京都では応仁の乱(1467年)が大きな時代の節目になっている。
応仁の乱くらいからの歴史がないと本当の老舗とは言えない。
しかし、応仁の乱で京都の建物はほとんど焼けて現存していないので、江戸幕府の以前の創業で約400年くらいの歴史があれば「老舗」と言える。
創業100年の場合、他人が「老舗」というのはいいが、自ら「老舗」というのは違和感がある。
東京のテレビで、「創業60年の老舗」と自己紹介しているのを見て京都人は大爆笑する。
「おばんざい」は家庭料理
おばんざいは、家庭の残り物を炊き直し、再利用した常備菜で来客にお出しするものではない。
京都市内によくある「おばんざい」のお店は、観光客用の「おばんざい」だ。
一般的な京都人の「おばんざい」はそれほど美味しくない。
「仕出し弁当」がおもてなし
京都では来客があると「仕出し弁当」でおもてなしする。
東京の「仕出し弁当」は会議用に1,500円~2,000円程度のものが多いが、京都では3,000円~5,000円の「高級仕出し弁当」が主流だ。
実際、京都の有名な老舗料亭は「仕出し弁当屋」が発祥の場合が多く、京都では「仕出し弁当」は高級品である。
京都では素人の家庭料理よりも料理のプロが作った「仕出し弁当」でおもてなしする。
また、家庭料理を出して味が変わると「新しい嫁が来た」など家庭の事情がなんとなくお客様に分かってしまう。
そういう家庭の内情を他人に知らせたくないという心理もあると思う。
京都では「本音」と「建て前」を使い分けるのは当然。「裏表」があって当然。
表面は上品でありながら、言いたいことを相手に言えてはじめて京都人と言える。
他府県の人は京都人のこういう性格をネガティブに考える人がいる。
しかし、京都人から見れば、そういう人は京都慣れしてない田舎者と思われる。
京都人からすれば、東京人も田舎者でしかない。
エスカレータは左立?右立?
東京圏では、エスカレーターの左側に立ち、大阪圏ではエスカレーターの右側に立つ。
しかし、京都では「前の人が右なら右に立つ。前の人が左なら左に立つ」
前の人と同じ側に立つのが京都流。
そうは言っても、路線によって微妙に違う。
JR京都駅や京都市営地下鉄は「左立」が多い。
これは観光客が多いからだと思う。
しかし、阪急電車の「烏丸駅」「京都河原町駅」は「右立」が多い。
これは関西圏の利用者が多いからだと思う。
料亭には5分遅れて行く
約束の時間の5~10分前に行くのが日本の一般的常識だが京都では違う。
特に料亭などへは5分遅れて行くのが京都人の常識。
料亭は来客の準備があるので、その余裕をみて5分程度遅れて行くのが京都流の心使いとされる。
そうではない料亭もあるので、自己責任で判断してください。
但し、ビジネスの場合は5分~10分前に行く。
割烹の店では、次の客が来るまでいる
カウンター割烹の店が京都には多い。
自分の他に客がいない場合、自分が帰ると店がガラガラになって印象が悪い。
そんなときは次の客が来るまで、カウンターにいるのが客としての常識・マナー。
逆に、店が混雑して、客が待っているときは早めに帰るのが客としてのマナー。
「おこしやす」と「おいでやす」の違いは?
京都ではお客様に対して「いらっしゃいませ」の意味で「おこしやす」と「おいでやす」を使う。
「お越しやす」は「山を越えてわざわざ来てくださった大切なお客様」という意味で、「おいでやす」は一見客に使われる。
この使い分けは店の内部向けの「隠語」で、料亭などでは厨房に「ご予約のお客様が来店された」ことを伝えるのだと思う。
店では常連客の好みを把握しているので、この言葉を合図に、厨房では料理を出すタイミングを逆算して料理を開始する。極めて合理的な使い分けだ。
したがって、「おいでやす」は一見客に言う言葉だからと言って、決して軽く見ているのではない。
「お子さんは、元気な方がいい」と言われたら?
京都人に「お子さんは、元気でよろしおすなあ」(子供が元気があっていい)と言われたら「ありがとうございます」と返事してはいけない。
京都人の本音は「子供がうるさい」という意味。
「ピアノがお上手ですね」と言われたら?
京都人に「ピアノがお上手ですね」と言われたら本気にしてはいけない。
京都人の本音は「ピアノがうるさい」ということです。
「いい時計してますなあ」と言われたら?
京都人に「いい時計してますなあ」と言われて、時計のことを詳しく説明してはいけない。
京都人の本音は「時間が長過ぎる」という意味で、すぐに帰らないといけない。
舞妓さんの半分は京都人ではない
2021年3月現在、五花街(かがい)合計で舞妓さんは68名、芸妓さんは161名、そのうち半数以上は京都府以外の出身者。
ちなみに、京都花街組合連合会に加盟している花街(かがい)は「祇園甲部」「宮川町」「先斗町」「上七軒」「祇園東」の5つの花街(かがい)があり、総称して「五花街」と呼ばれている。
「花見小路通」付近は「祇園甲部」、そこから少し西に行くと「宮川町」。
ただし、花見小路通付近の看板には「私道での撮影禁止」と書いているので、ご注意ください。
昼間観光地の近くを歩いている「舞妓さん」は観光客
最近は観光客が舞妓変身して観光することが多い。
本物の舞妓さんは、昼間に「お稽古」に通うので「舞妓」の姿で観光地近くを歩いていることはまずない。
したがって、昼間に京都の観光地を歩いている「舞妓さん」は観光客と思っていい。
京都人には見えない境界線が見える
京都の道路には京都人にしか見えない隣家との境界線がある。
自宅の前の道路を掃除をするときも「見えない」分担線が決まっている。
他人の家の前の道路まで掃除することは京都では禁止。
しかし、この境界線の2~3cm隣家側まで掃除しないといけない。
実は京都人はパン好き
実は、京都人の家庭の食事は質素だ。朝食は時間のかからないパンが主流だ。
東京に下る
京都人はいまだに「京都が都」という意識があり、東京に行くことを「上京」とは言わない人が多い。
中には「東京に下る」という言い方をする人がいるが、一般的な京都人は「東京に行く」と言う。
10代住んではじめて「京都人」
明治初期、京都の人口は10~20万人で現在は150万人、本当に10代住んではじめて「京都人」なら現在の京都人の半数以上は「京都人」ではない。
しかし「3代住んで江戸っ子」なら「10代住んで京都人」でないと京都人のプライドが許さない。
京都出身と言っていいのは「京都市」だけ
京都人にとって「京都」とは「京都市内」のこと、しかも「本当の京都」とは洛中(中京区、上京区、下京区)という意識がある。
これは豊臣秀吉が1591年に作った当時の京都を防衛するための土塁(御土居)の範囲内が洛中(=京都)と呼ばれたためだ。
御土居の範囲(出典 京都市)
御土居の総延長は22.5kmで、御土居の内側を洛中、外側を洛外と呼び、出入りする出入口を7か所に設置した。「鞍馬口」「丹波口」という名称はその名残。
平安時代には自動車も鉄道もなかったので人々は牛車か徒歩で移動していた。したがって1日で行ける範囲は片道10km程度だった。
嵐山や嵯峨野は京都の中心部から離れた1泊旅行で行くような「別荘地」あるいは「田舎」だった。
今でも街の中心部に住む「洛中京都人」にとっては嵐山や嵯峨野は1泊するような田舎であって、実際、嵐山や嵯峨野の料理は味が濃い田舎料理と思っている。
また「洛中京都人」から見れば、伏見区や宇治市出身の芸能人が「京都人」と言うのを見て違和感を感じる。
京都の老舗には「場違いの部屋」がある
京都の老舗には客を追い返すための「場違いの部屋」がある。
例えば、襖絵で言うと「梅に鶯(うぐいす)」が正解だが、「桜に鶯(うぐいす)」の襖絵の部屋があるのだ。
数百万円の立派な襖絵なので、何も知らないと立派な部屋に通されて厚遇を受けたと客は思う。
しかし「場違いの部屋」に通されたら1時間経っても老舗の主人はでてこない。つまり「場違いな部屋」に通された「場違いな客」という意味なのだ。
もし「場違いの部屋」に通されたら適当に理由をつけて引き上げるしかない。
京都のお店でいい待遇を受ける方法
京都にはよく行くが、普通の観光客としか見られていないようで京都風のそれなり接客しか受けたことがない。
ところが、京都漆器の老舗「象彦」で買い物して「象彦」の紙袋をもって京都の町をうろうろしていると、いつもとは違ってものすごく接客がいい。
京都人の店員さんにとっても、高額品を買いそうな客がいい客なわけで、
単に「高級品」を身に着けているということではなく、京都の老舗で買い物したということが重要。
特に京都は「横のつながり」が機能しているので「京都の老舗」から紹介してもらうのが一番。
クレジットカードが使えない飲食店や料亭が多い
京都のデパート、ホテルではクレジットカードは利用できる。しかし、個人商店、小料理屋などはクレジットカードが使えないことが多い。
また、ランチはクレジットカード不可で、ディナーしかクレジットカードが使えない店も多い。
ホテルやレストランの従業員の6割は京都人ではない
京都のホテルやレストランでスタッフの方に細かい観光情報を聞くと、最近京都に赴任したばかりと言う人が多い。
近年、京都ではホテルが大量に開業しており、京都出身者だけではスタッフが足りないようだ。
一般的なホテルやレストランに行く場合は、特に「京都流」を意識する必要はあまりないと思う。
観光客の心得
京都は街全体が博物館のようなもの。
したがって、京都の街を維持するためには、多額の費用がかかる。
観光客もそれを理解して「多少高く」でも喜んで観光や料理を楽しむという考えを持てばいい思い出ができると思う。
単に「お金を払う」というのではなく、「京都の街の維持」に協力しているという気持ちが大切かもしれない。
ところで「山を越えてわざわざ来てくださったお客様」は誰なのか?それは京都の古い寺を見ればわかると思う。
京都の寺の中には「塔頭寺院」という寺の中の寺がある。この塔頭寺院は地方の大名が寄進したもので、上洛(京都に来たとき)に塔頭寺院に宿泊した。
そして、門前には料亭があったので「山を越えた来てくれた客」とは地方の大名のことだったのではないか?
「大名」と「町人」では、扱いが違って当然と考えるのが京都人。