
「東京タワーは東京の象徴」──このフレーズに異論を唱える人はまずいないだろう。
だが、その象徴を“つくった人物”となると、一気に知名度は下がる。実は、東京タワーを建設・運営する会社「日本電波塔株式会社(現:株式会社TOKYO TOWER)」を創立したのは、大阪出身の実業家・前田久吉である。
前田久吉は1893年に大阪市で生まれた。小学校卒業後、家庭の事情から進学を断念し丁稚奉公へ。1913年に母方の祖父母が営む新聞販売店「有川新聞舗」を手伝い始め、翌1914年には跡を継いだ。地道な営業努力が実を結び、数年で取り扱い部数は10倍へ。南大阪屈指の新聞販売店へと成長させた。
1922年には「南大阪新聞」を創刊、1927年には新聞社を株式会社化し社長に就任。その後も全国紙の経営に携わり、「大阪の新聞王」と呼ばれる存在へと駆け上がる。1958年には現在の産業経済新聞社を設立した。
そして1957年、ついに東京タワー建設のため「日本電波塔株式会社」を設立。着工からわずか約1年という驚異的なスピードで、高さ333メートルの東京タワーを完成させる。
■設計
東京タワーを設計したのは「塔博士」と称される内藤多仲(山梨出身)。設計会社は住友系で大阪創業の日建設計。ここにも大阪ゆかりの流れがある。
■施工
施工を担ったのは、大阪にルーツを持つ竹中工務店。同社が東京タワーの巨大鉄塔を実際に建て上げた。
──つまり、東京のランドマークである東京タワーは、会社設立から設計、施工に至るまで、実は“大阪の企業と大阪出身者”が深く関わって完成した建造物なのである。
| 施設名 | 日本電波塔(愛称:東京タワー) |
|---|---|
| 所在地 | 東京都港区芝公園四丁目2番8号 |
| 敷地面積 | 15,577.143 m² |
| 建築面積 | 4,470.34 m² |
| 延床面積 | 24,874.87 m² |
| 階数 | 地上60階、地下2階 |
| 高さ | 333 m(海抜高351 m) |
| 建築主 | 日本電波塔株式会社(現:株式会社TOKYO TOWER) |
| 設計 | 内藤多仲、日建設計 |
| 施工 | 竹中工務店 |
| 着工 | 1957年6月29日 |
| 竣工 | 1958年12月23日 |
1950年代の日本は、戦後復興のただ中にあった。
テレビ放送が広まり始め、首都・東京には広域電波塔が必要になった。
そこで構想されたのが、日本の技術力を象徴する巨大タワー、現在の高さ333メートルの東京タワーだ。
東京タワーは東京の象徴でありながら、その根底には大阪の情熱と技術が確かに流れている。
東京と大阪——。
ライバルでありつつも、互いを支え、補完し合ってきた日本の2大都市。
東京タワーは、まさにその関係性を体現する存在だ。
これから東京タワーを見上げるとき、ぜひ少しだけ視点を変えてみてほしい。
「あれは大阪の企業が築いた誇りの塔なんだ」と。
赤く輝く巨塔の光は、東と西を越えて、戦後の日本を再び前へと押し出した人々の情熱そのものでもある。
