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【コラム】大阪と東京で根本的に違う「自己肯定感」

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大阪・梅田

「大阪」と「東京」は違う

江戸(東京)は「参勤交代で地方から来た武士50万人」と「身分の低い町民50万人」の街であり、大阪は「商人の街」だったという歴史から「大阪」と「東京」の違いを説明する人がいる。

その結果、東京は「上意下達」の縦社会、大阪は市民が平等(フラット)な社会になったとも言われる。

しかし、それだけではないと思っていたが、自分の中で整理できていなかった。

最近、もう一つのキーワードは「自己肯定感」だと気が付いた。

大阪は、フラットな社会だから「自分も認めるし、他人も認める」ので「自己肯定感」が高い。

一方、東京は階級社会だから「組織の中」でしか自分の居場所がない。その結果として、組織の中で序列の低い人や組織の外にいる人は「自己肯定感」が低いのではないか?

自己肯定感というと「新しい言葉」のように聞こえるが、「褒めて伸ばす」「自分を褒めてあげたい」と同じことだと思う。

 

関西弁の「ええねん」って聞くと、なんかほっとする

関西弁の「ええねん」という言葉を聞くと「そのままの自分でいい」と思う。ちょっとしたことだが、その「一言」で心が落ち着き、次に踏み出せる気がする。

「ちゃうねん」(違うの意味)という関西弁もあるが、180度違うのではなく、角度でいうと3度くらいの違いだと思う。不思議なことだが、「ええねん」も「ちゃうねん」もほどんど同じ意味で、ニュアンスの違いだけなような気がする。

関西弁は「自己肯定感」の高い言葉だと思う。それは、関西人が「自己肯定感」が高いということが原因かもしれない。

関西弁の「ええねん」って、東京弁(横浜弁?)だと「いいじゃん」っていうところだろうか? やっぱり関西弁の方がしっくりくる。

 

とある坂の街はちょっと違う

ただ、関西のとある坂の街では、住んでいる場所が「阪急沿線」「JR沿線」「阪神沿線」で序列があり、お互いにマウンティングし合っているので「自己肯定感」の極端に強い人と弱い人が混在している。

結論として、坂の街は住みにくいし、人口減少しているし、経済も将来性がない。

そもそも、大阪の人口が急増したため、住みにくい不便な「坂の街」に人々が住んだに過ぎない。

大阪が再開発でタワーマンションなど住みやすい住宅が大量に供給されるようになったので、住みにくい坂の街の人口が減少するのは当然だ。

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