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2025年は大大阪時代から100年後、仮称「大大阪(だいおおさか)建築遺産」を整備すべき

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大大阪時代とは大正(1912年~1926年)後期~昭和(1926年~1989年)初期の1920年代~1930年代にかけ、大阪市が人口、面積、工業出荷額において東京を上回り日本一の経済都市だった時代のことで、当時の大阪の都市規模は世界5位だったとも言われる。

100年前のことで21世紀の現在では関係ないと思うかもしれない。しかし、大阪市内には100年前の大大阪時代の建築物が多数残っている。

先日行った「パンとエスプレッソと堺筋倶楽部」も1931年に竣工した旧川崎貯蓄銀行大阪支店の建物をリノベーションしたカフェで、100年前の大大阪時代の栄華を感じることができる。

「パンとエスプレッソと堺筋倶楽部」

 

大阪市中央公会堂(1918年竣工)

1925年に大阪市が周辺の西成郡や東成郡を編入し面積181㎢、人口211万人となり、当時の東京市を上回った。

その100年後の2025年に大阪・関西万博が開催される。

そのころまでに(仮称)「大大阪(だいおおさか)建築遺産」という制度を創設し大阪市内に点在する大大阪時代の建築物を一体的に保存・活用すべきではないか?

一つ一つの建築物も素晴らしいが、それだけでは大阪に来る動機としては弱い。

しかし、「大大阪建築遺産」という制度を作れば、海外からも観光客を呼び込める「新しい観光資源」になるのではないか?

大阪市内に点在する「大大阪時代の建物」の周辺を「風致地区」として2025年までに電柱地中化、歩道拡幅、1Fをレストランやカフェとして整備するなどすれば、滞在時間が延び、経済効果が高まると思う。

大阪府民にとっては見慣れた建築物だが、100年前の本物の建築物がそのまま現存する都市は少ない。

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