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神戸の都市衰退要因に関する「AIによる包括的分析」「ニュータウンが高齢化率42%のオールドタウン化」2025年8月

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阪神・淡路大震災以降の経済、人口、産業、都市政策の変遷と課題

神戸市西区・須磨区の西神ニュータウンの一部の団地では65歳以上が全人口に占める割合が「42%」に達し、「限界集落」と言える状態

 

序文

神戸が衰退したとされる理由は、複数の要因が複合的に絡み合っていると考えられています。主な理由は以下の通りです。

 

1. 阪神・淡路大震災の影響
1995年の阪神・淡路大震災は、神戸に甚大な被害をもたらしました。物理的被害と経済的ダメージ: 港湾施設が破壊され、物流機能が低下しました。また、復興に多額の費用がかかったため、市の財政が圧迫されました。

人口流出: 震災による被害や生活の不便さから、特に若年層が近隣の大阪などへ流出し、少子高齢化が加速しました。

 

2. 経済構造の変化と産業の衰退
港湾機能の相対的低下: 震災後の復興の遅れもあり、貿易港としての地位が低下しました。ファッション産業の衰退: かつて「ファッションの街」として栄えた神戸ですが、ファッション産業自体の衰退が経済に影響を与えました。

ニュータウンの課題: 高度経済成長期に開発されたニュータウンが「オールドタウン」化し、老朽化や人口減少が進んでいます。共働き世帯の増加など、ライフスタイルの変化に対応できていないことも指摘されています。

 

3. 都市開発・政策の課題
神戸市の都心部の開発遅れ: 大阪・梅田の再開発が進む一方で、神戸の中心地である三宮の開発が遅れたため、オフィス需要や商業機能が大阪に流出する傾向が見られます。

タワーマンション規制: 神戸市は、都心部の景観や住環境を守るため、タワーマンションの建設を規制してきました。しかし、これが都心回帰の動きを阻害し、人口減少の一因となっているという指摘もあります。

 

4. その他の要因
大阪への一極集中: 関西圏において、経済の中心が大阪に集中する傾向が強まり、神戸の地位が相対的に低下しました。

「神戸ブランド」への過信: かつて「神戸ブランド」として確立されたイメージに頼り、抜本的な人口減少対策や経済活性化策が後手に回ったという見方もあります。

これらの要因が複合的に作用し、神戸の人口減少や経済の停滞を招いていると考えられています。現在、神戸市は三宮周辺の再開発や医療産業の誘致など、新たな発展を目指す取り組みを進めています。

 

I.本編

神戸市は、古くから国際貿易港として栄え、独自の文化と産業を育んできた都市として知られています。明治の開港以来、「ハイカラ」で「上質」なイメージを持つ国際都市として発展し、特に港湾機能と多様な地場産業がその繁栄を支えてきました。しかし、1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災を境に、その都市としての存在感や経済的活力が低下したという認識が広まっています。この現象は、単なる一時的な落ち込みではなく、長期的な構造変化の表れとして捉えられています。

本分析は、この「衰退」とされる現象の背後にある複合的な要因を、経済、人口、産業、都市政策といった多角的な視点から、詳細かつ客観的に分析することを目的とします。阪神・淡路大震災が神戸に与えた壊滅的な影響を起点としつつ、その後の長期的な構造変化、特に人口動態の変容、産業構造の再編、そして都市政策の成果と限界に焦点を当てます。収集された研究資料に基づき、各要因の因果関係や相互作用を深く掘り下げ、神戸が直面する課題の本質を明らかにします。最終的に、これらの分析結果を踏まえ、神戸の持続可能な発展に向けた戦略的提言を行います。

 

II. 震災前の神戸:繁栄の基盤

国際貿易港としての神戸港の役割と経済的寄与

神戸港は、その歴史を古くは「務古水門」や「大輪田の泊」にまで遡ることができ、中国大陸や朝鮮半島との交流拠点として発展してきました。平安時代には「経ヶ島」の築造(1174年)が行われるなど、国際貿易の要衝としての地位を確立していました。近代においても、1980年(昭和55年)以前にはアジア最大の貨物取扱港湾としての地位を確立しており、日本の国際物流における重要なゲートウェイとして機能していました。

神戸市の経済において、神戸港の役割は極めて重要でした。市の全就業者人口の約17%が、港運業、為替金融業、商社、税関といった港湾関連産業に従事しており、市内純生産額の約30%をこれらの関連産業が占めていました。この数値は、神戸経済が港湾機能に非常に強く依存していたことを明確に示しています。

しかし、この港湾経済への過度な依存は、潜在的なリスクを内包していました。一つの産業分野、特に物理的なインフラに大きく依存する港湾機能に経済活動が集中していることは、外部からのショックに対して都市経済全体が脆弱になる可能性を秘めていました。港湾機能が麻痺した場合、その影響は関連産業だけでなく、市内経済全体に広範かつ深刻な打撃を与えることが懸念される構造でした。これは、後に阪神・淡路大震災が発生した際に、港湾機能の停止が神戸経済に与えた壊滅的な影響を予見させる構造的脆弱性であったと言えます。

 

主要産業の構造と特徴(重工業、雑貨系工業、ファッション産業、地場産業)

神戸の地域経済は、明治以降の国際貿易港としての繁栄を基礎として、多様な企業が立地し、操業することで発展を遂げてきました。その産業構造は多岐にわたります。

まず、重工業が挙げられます。臨海部には造船、鉄鋼、重電、車両などの大規模素材型重工業が集積し、神戸経済を牽引する中心的な役割を担っていました。これらの大企業の事業所は、都市の経済基盤の重要な部分を形成していましたが、後に震災時に大きな打撃を受けることになります。

次に、雑貨系工業も発展していました。我が国の輸出工業の典型でもあったケミカルシューズやゴムパッキンなどのゴム製造に代表される工業がその一例です。特にケミカルシューズ産業は、大正中期からのゴム産業の発展を背景に、第二次世界大戦後に誕生しました。長田区を中心に多くの婦人靴が生産され、「神戸の履きだおれ」として全国に名を馳せるほどでした。

さらに、神戸市は独自の文化と結びついたファッション産業地場産業の振興にも力を入れていました。神戸市は1973年(昭和48年)に全国に先駆けて「ファッション都市宣言」を行い、官民一体でファッション都市づくりを推進しました。この取り組みにより、アパレル企業が急成長し、大手から個性的な中小企業まで層の厚さが特徴となりました。具体的には、真珠加工、清酒(灘の酒)、洋菓子、パン、コーヒー、スポーツ関連製品などが、神戸の歴史、自然、文化を生かした地場産業として、また「ハイカラ」な生活文化産業として振興されていました。

神戸の産業構造は、一見多様に見えましたが、その中に脆弱性を抱えていました。重工業が臨海部に「集積立地」していた点や、ケミカルシューズ産業が長田区という特定の地域に集中していた点から、地理的な集中リスクを抱えていたことがわかります。震災のような広域災害が発生した場合、これらの集積・集中した産業は、その多様性にもかかわらず、壊滅的な被害を受けやすい構造でした。また、ファッション産業は「ハイカラ、上質」という都市イメージの形成に貢献していましたが、その経済的ウェイトが重工業や港湾関連産業に匹敵するほど強固であったかについては、震災後の回復状況から疑問符がつく部分もありました。

 

III. 阪神・淡路大震災の壊滅的影響と長期化する課題

A. 直接的被害と経済的打撃の規模

阪神・淡路大震災は、神戸市に未曽有の壊滅的な被害をもたらし、その後の都市の軌跡を大きく変えることになりました。

 

港湾施設、産業インフラ、都市機能への壊滅的被害

震災により、神戸港を中心に計24港の港湾施設が被害を受けました。特に神戸港では、護岸や海岸保全施設が地震動と液状化により数メートルにも達する大移動を生じ、その結果として背後地盤の側方流動も発生しました。コンクリートケーソン護岸は大きく移動し、コンテナクレーンなどの荷役施設が破壊される事態となりました。港湾施設の直接被害額は1兆円に上り、この大部分を神戸港が占めることとなりました。

産業インフラも甚大な被害を受けました。神戸市には鉄鋼業や造船業など多くの大企業の事業所が立地していましたが、そのほとんどが被災し、生産ラインがストップしました。神戸の地場産業である清酒業、ケミカルシューズ産業、真珠・アパレル業界も軒並み操業停止に追い込まれるなど、壊滅的な打撃を受けました。

 

地域経済への直接的影響と生産活動の停止

兵庫県下における直接被害総額は、約10兆円という途方もない規模に達しました。建物や社会資本の損失額の総計だけでも5兆円から6兆円程度と試算されました。

民間企業の操業水準は著しく低下し、百貨店の売上は1995年1月には前年同月比で43.9%減と激減しました。企業倒産が急増し、企業の移転や分散も生じるなど、地域経済に及ぼす影響は甚大でした。

震災の被害は、神戸の都市構造、特に経済基盤の脆弱性を露呈させました。港湾という主要な経済エンジンが壊滅したことで、関連産業だけでなく、サプライチェーン全体、さらには消費活動にまで連鎖的な影響が及びました。これは、経済活動が特定の地理的空間(臨海部)や産業(港湾、重工業)に集中していたことの裏返しであり、都市のレジリエンス(回復力)が低い状態であったことを示唆します。物理的被害だけでなく、企業活動の停止や移転、消費の冷え込みといった「間接被害」が、都市の長期的な活力を奪う要因となりました。

 

神戸市財政への甚大な影響(震災関連事業費、市債残高、市税収入の低迷)

震災時の神戸市の財政は、バブル経済崩壊後の景気低迷により、すでに厳しい状況にありました。1994年度当初予算では過去最高の568億円の財源不足を抱えていた中で、阪神・淡路大震災という非常事態に見舞われることになりました。

復旧・復興事業に総力を挙げた結果、震災関連事業費は総額約2兆8,800億円にものぼりました。この莫大な事業費は、1994年度の市税収入(2,741億円)の約10倍を超える規模であり、神戸市は極めて厳しい財政状況に陥ることとなりました。この事業費の約半分は市債によって調達され、市債残高は1993年度の8,056億円(一般会計)から1997年度には1兆7,994億円(一般会計)へと、わずか数年で2倍以上に急増しました。これにより、起債制限比率も増加し、2004年度には26%にまで達しました。

震災後の市税収入は、所得の激減に加え、震災減免や雑損失の繰越控除等により大幅に減少しました。その後、住宅の新増築等による増収で一時的に回復基調となったものの、1997年度の2,929億円を境に再び減少し、2004年度には2,506億円まで落ち込みました。特に個人市民税と法人市民税の減少が顕著であり、それぞれ1993年度から2004年度にかけて30.4%減、28.7%減となりました。

莫大な震災関連債務と税収の長期低迷は、市の財政運営に恒常的な重圧を与え、復旧を超えた新たな都市機能の強化や産業振興、魅力向上への投資余力を著しく制限しました。財政調整基金の枯渇は、将来的な危機対応能力も低下させたことを示唆します。これにより、神戸は復旧に追われる一方で、他都市が成長投資を進める中で相対的に都市競争力を失い、新たな成長機会を逸する結果となりました。これは、都市の「衰退」を加速させる根本的な要因の一つとなりました。

 

B. 港湾機能の回復遅延と国際競争力の喪失

震災は神戸港に壊滅的な打撃を与え、その後の回復過程は神戸の国際競争力に長期的な影響を及ぼしました。

 

貨物流出とトランシップ貨物取扱量の激減

震災直後、神戸港で扱う貨物は他の港湾へ捌かれ、近隣港湾の混雑や海外の生産ライン停止など経済的損害が発生しました。神戸港の主要港湾施設は1997年3月には概ね復旧したものの、「打って替え」方式の復旧工事が進められたにもかかわらず、貨物取扱量の回復は遅延しました。震災7年後の2002年時点でも、外貿貨物量は震災前の約70%弱、内貿貨物量は約35%の水準に留まりました。震災前の取扱貨物量の水準に達したのは、開港150周年を迎えた2017年のことでした。

特に深刻だったのは、トランシップ貨物(積み替え貨物)の激減です。神戸港は震災前、国内最大のトランシップ貨物取扱港湾であり、1994年には581万トンものトランシップ貨物を取り扱っていました。しかし、震災後の状況は極めて厳しく、2000年の352万トンをピークに下降し、2003年には43万トンへと急減しました。2004年には取扱貨物全体のわずか2.3%にまで激減しています。

 

アジア諸港の台頭と神戸港の相対的地位低下

神戸港が復興過程にある間、香港、シンガポール、高雄、釜山といったアジア諸港が急速に整備を進め、国際的な貨物流のハブとしての地位を確立しました。これにより、神戸港から多くの貨物が流出しました。神戸港は1980年以前はアジア最大の港湾でしたが、現在では香港、シンガポール、高雄、釜山に次いでアジアで5番目の地位に甘んじています。

この長期低落傾向の原因として、日本の輸出入貨物(地場貨物量)比率の減少、国内企業のアジア進出による国内産業の空洞化、港湾の国際競争力の低下が指摘されています。特に中国からの輸入物流では、かつて神戸港が大阪港の2.5倍の規模であったのに対し、近年は逆に大阪港が神戸港をはるかに上回る状況となっています。

 

港湾関連産業の回復状況と課題

海事関係産業の復旧状況は、震災後1年~1年半で概ね8~9割の回復状況となりました。しかし、港湾施設の復旧に比べて交通アクセス(臨港交通施設)の復旧が遅れたことや、後背圏の輸出入関連産業が回復していないことなども、コンテナ貨物量の回復を遅らせる原因となりました。

震災は、神戸港の機能停止という直接的な影響に加えて、グローバルな物流ネットワークにおける「ハブ港」としての地位を不可逆的に低下させました。貨物が一時的に他港へ流れた際、船社や荷主はより効率的でコストの低い新たなルートや寄港地を見出しました。この「経路依存性」により、神戸港が復旧しても、一度失われた貨物は容易には戻りませんでした。これは、単なる災害からの回復問題ではなく、国際競争力の低下とグローバルサプライチェーンの再編という、より大きな構造的変化の中に神戸港が巻き込まれた結果です。神戸港の地位低下は、港湾関連産業だけでなく、都市全体の経済基盤を長期的に弱体化させる要因となりました。

以下に、神戸港の貨物取扱量の推移を示します。

Table 1: 神戸港の貨物取扱量推移(震災前後比較)

年次 外貿貨物量(万トン) 内貿貨物量(万トン) コンテナ取扱個数(千TEU) トランシップ貨物量(万トン)
1994年(震災前) 581
1995年(震災年) 247
2002年(震災7年後) 震災前の約70%弱 震災前の約35% 120
2003年 43
2004年 取扱貨物全体の2.3%
2017年 震災前水準に回復 震災前水準に回復

注記:各数値は参照元資料に基づく概算値または比率であり、全ての項目で完全なデータが揃っているわけではない。

 

C. 産業構造の変容と空洞化

阪神・淡路大震災は、神戸の産業構造に大きな変容をもたらし、一部産業の空洞化を加速させました。

 

主要製造業の被災と再編

震災により、鉄鋼業や造船業などの大企業が被災し、生産が停止しました。これらの重工業は震災前、神戸経済をリードしてきた産業でしたが、震災を機に再編や縮小を余儀なくされたケースも少なくありません。特に、ケミカルシューズ、真珠、アパレル、清酒といった神戸の地場産業も、工場倒壊など壊滅的な打撃を受け、軒並み操業停止に追い込まれました。

 

商業・サービス業の停滞と事業所数の減少

神戸経済において、港湾・商業・サービスなどの非製造業のウェイトは6~7割と高く、震災によるダメージは非製造業に集中的に表れました。震災前後で約9千の事業所が減少し、特に従業者数4人以下の零細事業所の事業所数と従業者数の減少が目立ちました。百貨店の売上減少に見られる民間企業の操業水準の低下や、企業倒産の増加、企業の移転・分散が地域経済に甚大な影響を与えました。商業全体としては8割復興で停滞し、特に卸売業、零細小売店に深いダメージが残ったとされています。

 

震災が加速させた産業構造転換の課題

鉱工業生産指数は1999年には震災前年を上回る水準に回復したものの、業界別にかなりの温度差がありました。国内企業の海外進出と国内産業の空洞化は、震災以前からの傾向でしたが、震災がこれを加速させ、神戸の地場貨物量の伸びを他のアジア諸国に比較して減少させました。

震災は、神戸が長年依存してきた重工業や港湾関連産業の脆弱性を露呈させ、その再編を不可避にしました。特に零細事業所の減少は、都市の多様な経済基盤と雇用創出能力を損ない、都市の活力を低下させました。また、ファッション産業も流通構造の変化や海外製品との競争激化、消費者ニーズの多様化といった課題に直面していました。これは、震災が既存産業の構造的課題を加速させ、神戸が新たな経済的支柱を確立し、都市の経済的アイデンティティを再定義する必要に迫られていることを示しています。単なる復旧ではなく、産業競争力の根本的な再構築が求められています。

以下に、神戸市主要産業の震災前後比較の概略を示します。

Table 3: 神戸市主要産業の震災前後比較(生産額・雇用者数など)

産業分類 震災前(例: 1994年) 震災後(例: 1999年/直近) 変化率(%)
港湾関連産業 市内純生産額の約30% 大幅減
重工業(造船、鉄鋼など) 臨海部に集積、経済を牽引 ほとんどが被災、生産停止 大幅減/再編
ケミカルシューズ 長田区で多く生産、「履きだおれ」 工場倒壊など壊滅的打撃 大幅減
アパレル 急成長、層の厚さが特徴 軒並み操業停止 大幅減
清酒業 灘の酒として重要地場産業 壊滅的打撃 大幅減
卸売・小売業 ウェイトが高い(6~7割) 零細事業所の減少目立つ 減少
全事業所数 約9千事業所減少 減少
鉱工業生産指数 1999年には震災前年を上回る 回復(業界差あり)

注記:具体的な数値は資料に限定的であるため、定性的な変化や傾向を中心に記載。

 

IV. 震災後の構造的課題:人口動態と都市構造の変容

震災後の神戸は、経済・産業の再編に加え、人口動態と都市構造の面でも大きな課題に直面し、都市の活力を左右する長期的な要因となっています。

A. 人口減少と若年層・子育て世代の流出

 

震災後の人口回復過程と近年の減少傾向

阪神・淡路大震災により、神戸市の人口は一時的に約10万人減少し、震災9年前の人口水準にまで落ち込みました。しかし、その後は民間住宅や災害復興住宅の供給、経済の復興が進むにつれて人口は回復基調となりました。2004年11月1日には震災直前(1995年1月1日)の推計人口を9年10ヶ月ぶりに216人超え、過去最高を記録しました。

その後も増加基調は続いたものの、2014年以降は増加ペースが鈍化する傾向を示し、近年は減少傾向に転じています。2024年の人口は前年から6,906人減少し、減少率は-0.46%となりました。

 

自然増減(出生・死亡)と社会増減(転入・転出)の動向分析

2024年の人口減少は、主に自然減(出生数が死亡数を下回る)によるもので、10,257人の減少を記録しました。具体的には、出生数は8,200人に対し、死亡数は18,457人であり、死亡数が出生数を上回る差の拡大が続いています。これは全国的な傾向でもあり、日本人住民全体でも15年連続で減少が続いています。

一方で、社会増減(転入が転出を上回る)は、2022年から3年連続で増加しており、2024年は3,351人の増加でした。転入数は79,814人、転出数は76,463人でした。しかし、この社会増は自然減を補うには至っておらず、総人口の減少が続いています。

区別に見ると、神戸市中央区、兵庫区、灘区は人口が増加している一方で、西区、北区、須磨区といった郊外の区では減少が続いています。これは、都心部への集中と郊外の過疎化という二極化の傾向を示しています。

 

周辺都市(特に明石市)への人口流出要因と子育て支援策の影響

神戸市からの人口流出先は、首都圏や大阪市のほか、兵庫県内では西宮市など阪神間6市が挙げられます。特に注目すべきは、子育て施策の充実で人口がV字回復した明石市への流出です。

明石市は、2011年から市長を務めた泉房穂氏が「子育て支援の5つの無料化」を政策として掲げ、子育て支援に注力しました。具体的には、高校卒業までの子ども医療費無料化、第2子以降の保育料完全無料化、0歳児見守り訪問「おむつ定期便」の無料化、中学校給食費無料化、公共施設の入場無料化などです。これらの政策には所得制限がなく、兄弟姉妹の年齢差も関係ないなど、手厚い支援が特徴です。その結果、明石市の人口は2012年以降10年連続で増加しています。神戸市からは、2023年3月までの1ヶ月間で約2,800人が明石市へ流出したと報じられており、特に20~30代の子育て層など若い世代の流出が目立つとされています。

神戸市から明石市への人口流出は、単なる隣接都市への移動ではなく、地方自治体間での「子育て世代」獲得競争の激化を示しています。明石市の成功は、特定の層に特化した手厚い政策が人口動態に直接的な影響を与えることを証明しました。神戸市がこの層の流出を食い止められないことは、将来的な労働力人口の減少、消費市場の縮小、そして税収基盤の弱体化に直結します。特に、郊外ニュータウンの高齢化と相まって、都市全体の活力低下を加速させる深刻な構造的課題であり、都市の持続可能性を脅かす要因となっています。

以下に、神戸市人口推移と自然・社会増減の直近10年間のデータを示します。

Table 2: 神戸市人口推移と自然・社会増減(直近10年)

年次 総人口(人) 自然増減数(人) 社会増減数(人) 人口増減率(%)
2015年 1,537,772
2016年
2017年
2018年
2019年
2020年 1,520,317
2021年 減少傾向 増加傾向
2022年 減少傾向 増加傾向
2023年 減少傾向 増加傾向
2024年 1,490,896 -10,257 +3,351 -0.46

注記:2015年と2020年の人口は国勢調査に基づく。2024年のデータは兵庫県推計に基づく。間の年次の詳細な自然増減・社会増減の数値は資料にないため、傾向を記載。

 

B. ニュータウンの高齢化と都市の二極化

神戸市は、郊外に大規模なニュータウンを開発してきましたが、これらの地域が抱える課題が都市全体の活力を低下させる要因となっています。

 

郊外ニュータウンの「オールドタウン化」の進行と高齢化率の深刻化

神戸市には、西神ニュータウン(西神中央・西神南・研究学園都市)、須磨ニュータウン、鈴蘭台ニュータウンといった大規模な郊外住宅地が存在します。これらのニュータウンは、計画的に宅地開発されたことから、公園や緑が多く、道が整備された住みよいまちとして発展しました。

しかし、まちびらきから一定の期間(30~50年)が経過し、同じ時期に入居した住民が一斉に高齢化する「オールドタウン化」が急速に進展しています。特に西神ニュータウンでは、2020年の国勢調査で人口が計画人口の11万6000人に及ばず9万人台に留まり、一部の団地では65歳以上が全人口に占める割合が「42%」に達し、「限界集落」間近の状況にあると指摘されています。西区全体でも2019年より約1万人減少しており、西神南でのマンション建設による人口横ばいを除けば、他の地域では減少傾向が続いています。

須磨ニュータウンの人口は、1975年(昭和50年代)から開発に伴い急増しましたが、1985年(昭和60年代)からは横ばいとなり、1994年(平成6年)の約18万9千人をピークに微減の傾向が続き、現在約16万8千人となっています。高齢化も急速に進んでおり、高齢者の単独世帯や高齢夫婦世帯の割合が増加しています。

 

住宅・施設の老朽化と地域コミュニティの課題

人口減少、少子高齢化に加え、ニュータウンでは施設の老朽化、近隣センター等の衰退、空き家・空き地の増加といった課題が顕在化しています。また、若年層(20代~30代前半)のニュータウン外への転出傾向も見られ、これにより地域コミュニティの担い手不足や活力低下が懸念されています。

 

都心部と郊外における人口・活力の格差拡大

高齢化が進む郊外と開発が続く市中心部の格差が顕著になってきました。神戸市内の区別人口推移を見ると、中央区、兵庫区、灘区といった都心部では人口が増加傾向にある一方、西区、北区、須磨区といった郊外の区では減少が続いています。

ニュータウンの「オールドタウン化」は、計画的に開発された都市が抱える「時限爆弾」と表現されることがあります。特定の時期に大量の住民が一斉に入居することで、その後の人口構成が均質化し、一斉に高齢化が進みます。これにより、社会保障費の増加、地域コミュニティの担い手不足、商業施設の衰退、空き家問題など、多岐にわたる課題が連鎖的に発生します。若年層の流出はこれをさらに加速させ、都心部と郊外の間に人口・活力の格差(都市の二極化)を生み出します。これは、都市全体の税収基盤を弱め、公共サービスの維持を困難にし、神戸の「衰退」を複合的に加速させる要因となっています。

 

V. 都市政策と再開発の現状:成果と限界

神戸市は、震災後の復興を経て、新たな都市課題に対応するための様々な都市政策や再開発プロジェクトを進めてきました。しかし、その進捗には成果と同時に限界も存在します。

 

A. 都心・三宮再整備の進捗と課題

神戸市にとって、都心である三宮の再整備は、都市の将来を担う最重要プロジェクトと位置付けられています。

 

JR三ノ宮駅ビル再開発計画の経緯と見直し

JR三ノ宮駅ビル再整備は、JR西日本の中期経営計画において大阪、広島と並ぶ「三大プロジェクト」の一つであり、神戸の表玄関のリニューアルだけでなく、都市の新たな位置づけを与える重要な意味を持つものでした。しかし、新型コロナウイルス感染拡大によるJR西日本の経営状況悪化と駅ビル需要の変化を受け、2020年10月に計画が一旦白紙化され、内容が見直されることになりました。JR西日本社長は「従来の考え方で駅ビルを造れない」と言及し、他のプロジェクトと比較して収益性が低く「不急」と判断された可能性が指摘されました。この白紙化は、神戸市と当時の市長にとって「大きな失敗」と報じられ、都心活性化の目玉事業の不透明感が強まりました。

 

タワーマンション規制の背景と都市機能への影響

神戸市は2020年7月1日に新たな改正条例を施行し、JR三ノ宮駅周辺約22ヘクタールを「都心機能高度集積地区」に指定しました。この地区では、原則として住宅などの大規模建築が禁止されました。

この規制の目的は、市内中心部を「消費するところ」や「働くところ」とし、「住むところ」は郊外と明確に分けることで、商業・業務などの都市機能の立地が阻害されることを防ぐためとされています。背景には、神戸市が大阪市に近く、交通の便が良すぎるため、「大阪の衛星都市化」の可能性が懸念されていることがあります。タワーマンション建設による人口急増が、居住地は神戸、従業地・消費地は大阪となる状況を生み出し、神戸市中央区が大阪市の衛星都市になることを防ぐ狙いがあると考えられています。

JR駅ビル計画の白紙化は、神戸市が外部の経済状況(コロナ禍)や企業の収益性判断に対して脆弱であることを示しました。これは、都市の重要プロジェクトが外部要因によって容易に停滞しうるリスクを露呈しました。同時に、タワーマンション規制は「大阪の衛星都市化」を防ぐという戦略的意図があるものの、都心部への人口集積を抑制し、結果的に都市全体の税収や活力を高める機会を逸する可能性をはらみます。人口減少と若年層流出が深刻化する中で、都心部での居住機会を制限することは、都市の魅力を高める上での矛盾となりうる側面があります。これらの政策は、都市の「衰退」を食い止めるどころか、一部でその要因を内包している可能性を示唆しています。

 

ウォーターフロント再整備と観光施設(ポートタワー、須磨シーワールド)の役割

都心・三宮再整備の一環として、ウォーターフロントエリアの活性化も進められています。

神戸のシンボルであるポートタワーは、耐震工事を経て2024年4月にリニューアルオープンしました。タワー内にはカフェ&バーやショップが出店し、観光客が内部でも楽しめる施設へと変貌を遂げました。また、「PORT OF KOBE」の文字も新港第三突堤基部広場に移設されました。

長年親しまれた須磨海浜水族園は、大規模なリノベーションを経て、西日本唯一のシャチ展示をメインとする「須磨シーワールド」として2024年6月1日にリニューアルオープンしました。神戸だけでなく全国からの観光客誘致が期待されています。

その他、三宮クロススクエア、新たなバスターミナル、神戸三宮ツインタワーなどの大規模プロジェクトが2027年頃から段階的に完成予定であり、都心部の交通結節点機能の強化と賑わいの創出が図られています。市役所本庁舎2号館の再整備や新神戸駅前広場の整備なども進行中です。

 

B. 新産業創出への挑戦:神戸医療産業都市構想

阪神・淡路大震災からの創造的復興を目指し、1998年に構想の検討が開始された「神戸医療産業都市構想」は、神戸の新たな経済的柱となるべく推進されてきました。

 

構想の成果と経済効果、雇用創出

この構想は、国内最大級のバイオメディカルクラスターへと成長しました。2024年6月末時点で363社の企業が進出し、2023年度末時点で12,700人の雇用者数を抱えています。

iPS細胞を用いた網膜色素上皮の移植手術や手術支援ロボット「hinotori」の開発など、数々の革新的な成果を創出しています。経済効果としては、2020年度の試算で税収効果が69億円、経済効果が1,562億円に達し、新型コロナウイルス禍にあっても右肩上がりの成長を遂げています。

 

他都市との競争激化と国際的プレゼンスの維持

構想開始から25年が経過し、国内の他都市も医療産業の集積地を形成し始めたことで、神戸医療産業都市を巡る環境は大きく変化しました。これにより、神戸の相対的なプレゼンスが低下しているという課題が指摘されています。

 

研究開発から事業化への「橋渡し」機能の強化と多様な人材確保の課題

経済復興は達成したものの、市民に対する具体的な利益還元という観点からは、新産業の創出に至るまでの十分な成果はまだ得られていないとされています。研究・開発シーズの事業化・産業化を促進するため、産学官医の連携強化、企業ニーズの正確な把握、そしてデジタル技術、バイオものづくり、ロボティクス、AIといった成長分野への重点的な支援が求められています。

人口減少社会が進む中で、持続的な発展のためには、経営・会計・法務・知的財産管理・医療統計といった多様な専門人材の集積・育成、そして分野・領域を横断的に活躍する人材の「往還」(活発な行き来)を促進する必要があります。神戸空港の国際化を踏まえ、アジア圏を中心とした関連企業等のインバウンド・アウトバウンドや協業を促進し、国際展開を強化することも重要です。

神戸医療産業都市構想は、震災後の経済復興の象徴であり、新たな産業の柱を築く試みとしては一定の成功を収めています。しかし、その成功は相対的なものであり、他都市の追随により神戸の「プレゼンス」が低下しているという課題に直面しています。これは、イノベーションの創出と事業化の「橋渡し」機能の強化、そして多様な専門人材の継続的な集積と定着が、次の成長段階における喫緊の課題であることを示唆しています。単なる企業誘致に留まらず、エコシステム全体の質を高め、国際競争力を維持・向上させる戦略が不可欠であり、これが都市全体の「衰退」を食い止めるための重要な鍵となります。

 

C. 人口減少・高齢化対策とニュータウン再生の取り組み

神戸市は、人口減少・高齢化という構造的課題に対し、多角的なアプローチで対策を講じています。

 

「リノベーション神戸」に代表される人口対策の方向性

神戸市は、人口減少対策として「リノベーション神戸」を掲げ、子育て世代が定住したくなるまちへの転換を目指しています。これは、都市の魅力を高め、若い世代の流出を食い止めるための総合的な取り組みです。

 

ニュータウン再生に向けた具体的な施策と成功事例、今後の展望

人口減少や高齢化、施設の老朽化といったニュータウンの課題解決に向けて、神戸市では複数の団地で「リノベーション」の検討が行われています。

具体的な取り組みとして、スーパーなどが不足する住宅団地で、民間事業者のキッチンカーによる生活サービス提供支援の実証実験が行われました。その結果、一部の団地では地域住民と事業者による運営に移行し、継続してサービスが提供されています。これは、高齢化に伴う生活利便性の低下に対応する試みであり、住民の生活の質を維持する上で重要な役割を果たしています。

また、ニュータウンと隣接する農村・里山地域の地理的特性を活かし、都市と農村の交流を進める取り組みも行われています。例えば、「神戸ネクストファーマー制度」により新規就農者を増やし、里山エリアの既存建築物を活用したカフェやレストランの開設を促進しています。これにより、都市住民が農村の魅力を享受し、新たなライフスタイルを提案することで、郊外の活力を維持しようとしています。

成功事例としては、子供食堂の立ち上げ支援や、学習支援に参加する高校生がボランティアとして手伝う好循環が生まれている地域も存在します。これらの取り組みは、地域コミュニティの活性化に寄与し、多世代交流を促進する効果が期待されます。

 

観光振興策と「神戸ブランド」再構築への試み

神戸市は、都市の魅力を再構築し、サービス経済を活性化させるために観光振興策も強化しています。

六甲山・摩耶山の活性化に向けた「六甲山グランドデザイン」の策定、規制の見直し、賑わい創出、都市型創造産業に資するオフィスの誘致などが進められています。これは、自然資源を活かした都市の魅力向上を目指すものです。

須磨海浜水族園・海浜公園の再整備(須磨シーワールド化)もその一環であり、新たな観光コンテンツとして全国からの誘客が期待されています。

さらに、2025年大阪・関西万博や神戸空港国際化を好機と捉え、「ひょうご新観光戦略(2023-2027)」に基づき誘客促進施策が展開されています。ユニバーサルツーリズムの推進、兵庫デスティネーションキャンペーンの展開、首都圏プロモーションによる「HYOGOブランド」確立など、広域での観光振興も図られています。

神戸市の都市政策は、震災後の復興から、人口減少・高齢化という新たな構造的課題に対応するための「総合的都市再生」へと転換しています。ニュータウン再生や都市・農村交流は、郊外の活力を維持し、多様なライフスタイルを提案する試みであり、部分的な成功事例も見られます。観光振興は、都市の魅力を再構築し、サービス経済を活性化させる重要な柱です。しかし、これらの取り組みが、若年層の流出(特に明石市への流出)や、都市ブランドイメージの低下といった根深い課題をどこまで克服できるかが問われています。特に、大規模な再開発の遅延やタワーマンション規制といった都心部の政策が、人口流入と居住の魅力を阻害する可能性があり、各政策間の整合性が今後の効果を左右します。

 

VI. 神戸の「衰退」を巡る多角的考察と将来展望

神戸の「衰退」という認識は、単一の経済指標のみでは捉えきれない、より複雑な要素が絡み合った現象です。経済指標の回復と市民感覚の乖離、都市ブランドイメージの変遷、そしてレジリエンスと経済活力の非対称性について考察します。

 

経済指標と市民感覚の乖離:真の「衰退」とは何か

神戸市の市内総生産(名目)は2021年度に7兆587億円となり、実質成長率はプラス1.0%と2年ぶりのプラス成長を記録しました。しかし、2020年度はコロナ禍の影響で実質マイナス3.1%成長であったように、経済状況は変動的です。関西圏全体で見ると、人口約2180万人、域内総生産(GRP)約1兆220億ドルの巨大経済圏であり、経済規模は韓国に匹敵します。しかし、大阪は主要アジア都市(上海、北京、ソウル、香港)に名目GDPで抜かれており、関西圏全体の国際競争力にも課題が見られます。

一方で、市民の都市ブランドに対する感覚は異なります。「都市ブランド・イメージ調査」では、神戸の「誇りを感じる」「愛着を感じる」「魅力度」のポイントがいずれも下落し、特に「誇り」「愛着」の下落幅は全都市中最大であったと報告されています。震災前と比較して、国内外における神戸の存在感が「下がっている」または「非常に下がっている」と感じる市民が53.7%に達しているという調査結果もあります。

兵庫県の大学学生数シェアは人口シェアの0.99倍であり、京都府(2.73倍)や大阪府(1.23倍)と比較して低い数値を示しています。これは、将来の労働力やイノベーションの担い手となる若年層の定着や高等教育機関の魅力において、周辺都市に劣る可能性を示唆します。

真の「衰退」は、単なる経済指標の低迷に留まらず、都市の「ブランド力」や「存在感」、そして市民の「誇り」や「愛着」といった非経済的要素の低下に表れます。神戸の場合、震災後の経済的な回復努力は一定の成果を上げているものの、国際港湾都市としての地位低下や、若年層流出といった構造的課題が、都市の魅力や将来性に対する市民の期待値を低下させている可能性があります。特に、グローバル化の進展により、神戸がかつて享受した「海外からの刺激を独占的に翻訳できる」というアドバンテージが崩れたことは、神戸独自の文化的アイデンティティの希薄化を意味し、都市ブランドの再構築が喫緊の課題であることを示唆しています。

以下に、神戸市と周辺主要都市の経済・人口指標の比較を示します。

Table 4: 神戸市と周辺主要都市の経済・人口指標比較

都市名 市内総生産(億ドル/億円) 人口(人) 人口増減率(2015-2020年, %) 若年層人口比率(%) 高齢化率(%) 大学学生数シェア(対人口シェア比率)
神戸市 484億ドル / 7兆587億円 (2021年名目) 1,490,896 (2024年) -0.8 (2015-2020) 0.99 (兵庫県全体)
大阪市 2,752,412 (2020年) +2.3 (2015-2020) 1.23 (大阪府全体)
明石市 増加傾向 (2012年以降10年連続)
京都市 4.29 (京都市)
西宮市

注記:各数値は参照元資料に基づく。全ての項目で全ての都市のデータが揃っているわけではない。人口増減率は2015年と2020年の国勢調査結果に基づく。

 

都市ブランドイメージの変遷と再構築の必要性

神戸市は、慶応3年の開港以来、諸外国との様々な交流の中から開放的で創造性に富んだ独自の文化と産業を発展させてきました。この独自の文化は、「ハイカラ」「上質」などとイメージされてきました。しかし、時代とともに情報が急速にオープンになるにつれ、海外からの刺激を独占的に翻訳できるという、神戸のアドバンテージは次第に崩れていきました。

かつての神戸ブランドの源泉であった「独占的翻訳者」としての役割の終焉は、都市がそのアイデンティティを再定義し、新たな価値を創造する必要性を突きつけています。単に歴史的なイメージに依存するだけでは、現代の都市間競争において埋没するリスクがあります。市民の愛着や誇りの低下は、このブランドの再構築が喫緊の課題であることを示唆しており、都市の魅力を再発見し、国内外に効果的に発信するための戦略が求められます。

 

レジリエントで持続可能な都市への転換に向けた課題と機会

阪神・淡路大震災という未曽有の経験を通じて、神戸市は震災の経験や教訓を未来へ継承しながら、新たなテクノロジーの活用を積極的に進め、ハード・ソフト両面から災害に強い「レジリエントな都市」へと成長してきました。例えば、港湾空間を活用した防災拠点や避難緑地の整備が進められ、緊急物資の輸送や避難基地としての機能が強化されています。

また、持続可能性への取り組みも進んでいます。「こうべ再生リン」のように、下水からリンを取り出し肥料として利用するなど、資源循環のまちづくりも推進しています。これは、環境負荷の低減と地域内での資源循環を両立させる先進的な試みです。

災害からの「レジリエンス」構築は都市の安全保障上極めて重要であり、神戸の大きな成果であると言えます。また、「こうべ再生リン」のような環境に配慮した取り組みは、持続可能な都市モデルとして評価できます。しかし、これらの側面が、港湾の国際競争力低下、若年層流出、産業構造の課題といった経済的・人口的「衰退」の認識を直接的に払拭するものではありません。レジリエンスは都市の基盤を強化しますが、それ自体が経済的ダイナミズムを生み出すわけではありません。都市の「衰退」を克服するためには、レジリエンスを基盤としつつ、その上に新たな経済的価値創造と人口誘引のメカニズムを構築する必要があります。

 

VII. 結論と提言

神戸の都市衰退を招いた複合的要因の総括

神戸の「衰退」は、単一の要因によって引き起こされたものではなく、阪神・淡路大震災という未曽有の災害を契機として、複数の構造的課題が複合的に作用し、長期的に進行してきた結果であると結論付けられます。

震災は、神戸の基幹産業であった港湾機能と重工業に壊滅的な打撃を与え、国際競争力の喪失と産業構造の空洞化を加速させました。神戸港はアジア最大の港湾としての地位を失い、貨物流出とトランシップ貨物取扱量の激減に見舞われました。財政的な重荷も長期にわたり都市の成長投資を制約し、復旧以外の新たな都市機能強化への余力を奪いました。

加えて、震災後の人口回復は一時的であり、出生数が死亡数を下回る自然減の進行と、周辺都市(特に明石市)の子育て支援策に劣ることで若年層・子育て世代の流出が顕著になりました。郊外ニュータウンの高齢化は都市の二極化を進行させ、都市全体の活力を低下させています。都心再開発は進むものの、基幹プロジェクトの遅延や都市政策の方向性(タワーマンション規制など)が、人口誘引と都市の魅力向上において課題を残しています。これらの要因が相互に絡み合い、神戸の都市ブランドイメージの低下と市民の「衰退」認識を形成していると考えられます。

 

将来に向けた戦略的提言

神戸が持続可能な成長軌道に回帰し、都市の活力を再構築するためには、これまでの分析を踏まえ、以下の戦略的提言を複合的かつ長期的な視点で実行する必要があります。

  1. 産業構造の再強化と高付加価値化:神戸医療産業都市構想の成功を基盤としつつ、研究開発から事業化への「橋渡し」機能をさらに強化し、バイオものづくり、ロボティクス、AIといった成長分野への重点投資を加速させるべきです。これには、経営、会計、法務、知的財産管理、医療統計といった多様な専門人材の集積と活発な交流を促すエコシステム構築が不可欠です。港湾機能の相対的地位低下と伝統産業の再編が進む中で、高付加価値型の新産業を育成し、都市経済の新たな牽引役とすることで、持続的な成長と雇用創出を図ることが可能となります。
  2. 人口減少・高齢化への包括的対策と魅力的な居住環境の創出:明石市の成功事例を参考に、若年層・子育て世代をターゲットとした、より手厚く魅力的な子育て支援策を抜本的に強化する必要があります。具体的には、医療費、保育料、給食費の無料化など、経済的負担を軽減する施策の拡充が考えられます。同時に、都心部と郊外ニュータウン双方において、多様なライフスタイルに対応した質の高い居住環境とコミュニティ形成を促進するべきです。人口は都市活力の源泉であり、特に生産年齢人口と子育て世代の確保は都市の将来を左右します。郊外ニュータウンの高齢化対策と都心部の居住魅力向上を両輪で進めることで、都市全体の人口構造の健全化を目指すべきです。
  3. 都心・郊外一体となった都市機能の再編と活性化:三宮再開発の遅延要因を徹底的に分析し、JR西日本を含む関係者との連携を強化し、計画の早期かつ確実な実現を図る必要があります。また、タワーマンション規制については、都市機能の集中と人口誘引のバランスを再検討し、都心部の居住機能の柔軟な導入も視野に入れるべきです。都心部と郊外ニュータウン、そして里山地域との連携を強化し、公共交通網の利便性向上や、各地域の特性を活かした機能分担と交流を促進することが重要です。都市の「顔」である都心部の活性化は都市全体のイメージに直結し、同時に郊外の課題を放置すれば都市全体の活力が低下するため、都市全体を一体的な有機体として捉え、機能的な連携とバランスの取れた発展を促すことで、都市の魅力を最大化するべきです。
  4. 国際競争力強化と都市ブランド戦略の再構築:神戸空港の国際化や2025年大阪・関西万博といった機会を最大限に活用し、国内外への戦略的な情報発信を強化すべきです。「レジリエントな都市」としての安全性、医療産業や食文化に代表される先進性と質の高さ、そして独自の歴史と文化を融合させた新たな「神戸ブランド」を再構築し、世界に発信することが求められます。グローバル競争が激化する中で、都市のブランド力は投資誘致、観光客誘致、人材誘引の重要な要素となります。神戸独自の強みを再定義し、国内外に魅力的に訴求することで、都市の存在感を高め、持続的な発展の基盤を築くことが不可欠です。
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