2026年10月10日、大阪府内でだんじりの横転事故が相次ぎ、男性2人が死亡、祭り関係者16人が負傷しました。
泉佐野市と泉大津市で発生した事故では、いずれも交差点で右折する際にだんじりが横転したとみられています。死亡した2人はいずれも、だんじりのバランスを取る役割を担っていたと報じられています。
こうした事故が起きると、
「危険な祭りなのだから中止すべきではないか」
という意見が出る一方、
「自動車だって毎年死亡事故が起きている」
「スキーや登山、ダイビングにも死亡事故はある」
「危険だからという理由だけで伝統行事を禁止するのはおかしい」
という意見も考えられます。
では、だんじりの危険性はどこまで社会的に許容されるのでしょうか。
日本では自動車などによる交通事故で、毎年多くの人が亡くなっています。
2025年の交通事故死者数は2,547人でした。これは統計が残る1948年以降で最少ですが、それでも年間2,500人を超える人が交通事故で亡くなっています。
それでも、日本社会は自動車を全面的に禁止していません。
なぜなら、自動車には大きな危険性がある一方で、
・移動手段として必要不可欠
・物流や経済活動を支えている
・道路交通法などのルールがある
・運転免許制度がある
・シートベルトやエアバッグなどの安全対策がある
・事故を減らすための継続的な対策が行われている
からです。
つまり社会は、「死亡事故がゼロではない」というだけで、その活動を禁止しているわけではありません。
レジャーにも同じことが言えます。
2025年の海上保安庁の資料では、マリンレジャーに伴う事故者は702人、死者・行方不明者は206人でした。
そのうちスクーバダイビングは45人が事故に遭い、16人が死亡・行方不明となっています。
しかし、ダイビングそのものが禁止されているわけではありません。
危険性を認識したうえで、
「一定のリスクを受け入れて楽しむ」
という考え方が社会的に認められているためです。
「自動車も危険」
「ダイビングも危険」
だから、
「だんじりも危険でいい」
とは単純には言えません。
重要なのは、誰がどの程度のリスクを負うのかという点です。
自動車の場合、運転者だけではなく歩行者や他の車両にも危険が及ぶため、法律によって速度、運転資格、飲酒、車両性能などが細かく規制されています。
ダイビングの場合は、基本的には本人が危険を認識して参加する自己責任型のレジャーです。
一方、だんじりは公共道路を使用し、大勢の参加者が巨大な車体を動かします。
そのため、
参加者が自ら危険を引き受ける部分
と、
沿道住民や通行人など第三者が巻き込まれる可能性
を分けて考える必要があります。
世の中には、完全に安全な活動はほとんどありません。
自動車、バイク、登山、スキー、海水浴、ダイビングなど、多くの活動には一定の死亡リスクがあります。
したがって、
「死亡事故が起きる可能性がある」
という理由だけで禁止するのであれば、多くのスポーツやレジャー、さらには日常生活そのものまで制限する必要が出てきます。
一方で、
「伝統だから仕方がない」
という考え方も適切ではありません。
伝統行事であっても、人命を守るために安全対策を改善することはできます。
だんじりについて議論する場合、
「危険か、安全か」
という二択ではなく、
どの程度の危険なら社会として許容できるのか
を考える必要があります。
例えば、
・速度を抑える
・危険な場所では曳行方法を変更する
・交差点周辺の安全対策を強化する
・参加者の配置を見直す
・沿道の観客との距離を確保する
・高齢者や子どもを危険区域から遠ざける
・事故が発生した場合の救急体制を強化する
など、事故の可能性をゼロにできなくても、リスクを小さくする方法はあります。
今回の事故を受けて、だんじりの危険性について議論が起きるのは当然だと思います。
しかし、
死亡事故が起きたから即座に禁止する
という考え方だけでは、十分な議論とは言えません。
重要なのは、
「その危険性は、祭りがもたらす文化的・地域的価値と比較して許容できるのか」
「許容するのであれば、どこまで安全対策を強化すべきなのか」
という点でしょう。
自動車にも死亡事故があり、ダイビングにも死亡事故があります。
それでも社会は、それらを完全に禁止するのではなく、一定のルールを設けながら利用しています。
だんじりについても同様に、伝統を守ることと安全性を高めることを対立させるのではなく、「どこまでなら許容できるのか」を冷静に考える時期に来ているのかもしれません。
「伝統だから仕方がない」と「危険だから全面禁止」という0か100かの結論ではなく、今回のような重大事故を繰り返さないためにも、伝統を尊重しながら安全性を高める、現実的な安全対策が求められます。
